#author("2019-01-08T00:12:42+09:00","","") *人物詳細 [#i011df51] #contents **ジャネット・ケリー [#wa40bac3] 本作の主人公。女性ジャーナリスト。 ビビアン・ロバーツ殺害事件の真相を探るため、ペインスクリークを訪れる。 &attachref(ジャネット.jpg,nolink,50%); **ビビアン・ロバーツ [#sb9d0291] -生年月日:1940年?月?日 本作の被害者の1人。主人公はこの女性の殺害の真相を調べるためにペインスクリークに来た。 夫はチャールズ・ロバーツ。1971年6月30日に結婚。 1974年6月11日に一人娘のトリシャを出産するも、その時の帝王切開で以後不妊となる。 不妊となったことと、チャールズの母であるマデリーンからの男の子の世継ぎを欲しがるプレッシャーで、精神が不安定となり入院。 後に、夫とソフィアが不倫していたことを知るが、娘のために離婚はしない選択をした。 1975年6月26日夜11時頃、チャールズとの不倫と子供について、アンドリュー、ジョンソンと共にソフィアを屋敷に呼び出し、取っ組み合いの拍子に井戸に頭をぶつけてソフィアを殺害。 ヘンリー・ジョンソン医師と協力して義母マデリーンの投与薬を3倍の強さにして殺害した。 少なくとも1995年の3月頃からは銀行員の男と不倫をしている。 1995年7月19日の23時頃から未明にかけて殺害された。 自伝を出版されたり、「影響力のある市民への賞」など様々な賞を受賞している。 |&attachref(ビビアン.jpg,nolink,75%);|&attachref(ビビアン1.jpg,nolink,75%);| **チャールズ・ロバーツ [#e0f0c969] -生年月日:? ビビアンの夫。1971年6月30日に結婚。市長を務めている。 1974年から1975年頃にかけてソフィアと浮気。74年の12月頃には妊娠が発覚。 ソフィアとの不倫関係がビビアンにバレたため、以降は不仲になる。 スコットとは狩りをする仲間で仲が良い。 1996年2月頃にはペインスクリークを出ていった。 &attachref(チャールズ.jpg,nolink,50%); **ソフィア・ミラー [#aeccf3fa] -生年月日:19??年3月18日 両親がおらず、マシューと同じ孤児院で育った。髪型は黒髪ロング。 1972年11月20日にマシューがいとこという嘘の紹介をして、ロバーツ家に雇われた。 バーナードは無視、ワンダは小言を言うが、他の周囲の人からの評判は熱心な働き者という評判。外見は見惚れる人がいるほどの美人。 ビビアンが精神不安定で入院中にチャールズと不倫関係になり、1975年6月1日にチャールズとの子、ヴィンセント(スコット)を出産。 1975年6月26日夜11時頃、チャールズとの不倫と子供について、ビビアン、アンドリュー、ジョンソンによって屋敷に呼び出され、取っ組み合いの最中に井戸に頭をぶつけてその場で死亡を確認。 |&attachref(ソフィア1.jpg,nolink,50%);|&attachref(ソフィア2.jpg,nolink,50%);| **トリシャ・ロバーツ [#s5b18495] -生年月日:1974年6月11日生まれ ビビアン、チャールズの間で生まれた娘。デリック・タイラーとスコット・ブルックスとは幼馴染で3人で遊ぶことが多かった。 幼少期は父親が多忙で不在、母も構ってくれることが少なく、両親の愛情不足を感じていた。 後に、スコット・ブルックスと交際するも、母親から反対され喧嘩することもあった。 母親が殺害されたことや、ボーイフレンドの逮捕などが重なり、1995年9月29日にノイローゼとなり入院。 1995年12月26日にペインスクリークコミュニティー病院の屋上から転落死。自殺と推測される。 |&attachref(トリシャ.jpg,nolink,50%);|&attachref(トリシャ1.jpg,nolink,50%);&br;絵:デリック| |~|&attachref(トリシャ2.jpg,nolink,60%);| **スコット・ブルックス(ヴィンセント・ロバーツ) [#ub5ad34a] -生年月日:1975年6月1日 ソフィア・ミラーとチャールズ・ロバーツとの間の子。 生まれてすぐにカルヴィン神父によってセイントパトリック孤児院に預けられる。 10歳になったころにマシュー神父に養子として引き取られる。 トリシャとデリックとは幼馴染でよく遊んでいた。 後にトリシャと交際関係になる。後にマシューやビビアンからは交際を反対される。 アンドリューとは実の親子に見えるほど仲が良い。 1993年9月2日に庭師アシスタントとしてロバーツ家に雇用される。 スコットはロバーツ夫妻の部屋を覗くことがあった。 1995年2月13日にドロシーに古いアルバム(ソフィアの写真)を見せてもらったところ、全く同じ毛布が写っていたことで親を知る。 1995年4月頃にビビアンから解雇される。 ビビアン殺害直前に言い争っていることが目撃されている。 解雇されたことや言い争った場面を目撃されたことから、ビビアン殺害の容疑者として逮捕される。 スコットは言い争いの後はキャビンに戻り、数日間は外に出ていないと主張しているが、詳細については黙秘して無罪を主張している。 結局、1995年10月27日に証拠不十分で釈放。 1995年11月16日の未明に死亡。多数の刺し傷が確認されている。釈放後すぐに殺害されたことで多くの疑問が飛び交っている。 |&attachref(スコット1.jpg,nolink,50%);|&attachref(スコット.jpg,nolink,60%);&br;絵:デリック| **マシュー・ブルックス [#tbefa296] -生年月日:? ペインスクリークの教会の神父。左利き。幼少期はソフィアと孤児院で一緒だった。 ロバーツ家がメイドを募集していることを知り、いとこと偽りソフィアを推薦する。 1974年頃から75年9月頃までインドネシアに宣教活動に行っていた。 ソフィアに好意を持っていたため、ペインスクリークにいる間は積極的に会い、インドネシアに渡った後は頻繁に手紙を送っていた。 インドネシアから帰国してすぐに、カルヴィン神父からソフィアがペインスクリークを出ていったことを聞かされる。 1984年11月1日にソフィアの子供(スコット)が孤児院にいること、またソフィアがペインスクリークを追い出されたということを、カルヴィン神父からの手紙で知る。 そして1985年4月6日にスコットを孤児院から引き取り養子とした。 1995年5月13日、スコットからソフィアが殺されていたことを聞かされる。 アンドリューを意図せず殺害してしまったこと、またヘンリー・ジョンソン医師の殺害をほのめかし、さらにビビアンの殺害(罪悪感や懺悔が無いため、明確な殺意を持つ)を自供している音声が存在する。 ビビアン殺害事件当日は毎年恒例の宗教集会に参加したという供述をしているが、実際には体調不良のため欠席する旨の連絡をしており参加はしていない。 1997年頃に匿名でモス探偵に事件の解決を依頼する。モス探偵の殺害をほのめかすような音声も存在する。 モス探偵に執事のバーナードを犯人と思い込ませようとするも、目論見がバレてしまい、殺害したと推測されるが、遺体や証拠は出てきていない。 |&attachref(マシュー.jpg,nolink);|&attachref(マシュー1.jpg,nolink);| **ヘンリー・ジョンソン [#d3a77a95] -生年月日:? ペインスクリークコミュニティー病院勤務の医師で、ロバーツ家の主治医。 1975年6月18日にビビアンとその娘トリシャを守るため、ソフィアとその息子スコットをペインスクリークから追い出すことをビビアンに提案する。 また同じ頃にビビアンからの願いにより、義母マデリーンが常用している薬を3倍の強さにした薬を処方して、マデリーンの殺害を幇助している。 1993年2月17日にロバーツ救済基金からの資金横領が発覚、総額はおよそ160000ドル。 マシューの音声によると1995年6月30日に殺害され、湖の中に沈められた。 7月12日にチェリークリーク湖にダイビングに訪れた男性が、沈んだ車の中にいるジョンソン医師を発見する。 ジョンソン医師は数ヶ月前から連絡が取れないことが増えていたので捜索願は出ていなかった。 検死報告書では裂傷による失血死で、死亡後に湖に沈められたとみられる。 &attachref(ジョンソン.jpg,nolink,50%); **アンドリュー・リード [#qd082b03] -生年月日:1951年7月22日 7ブラックパイン通りに住む。1971年8月12日からロバーツ家で庭師、給仕として働く。謹厳実直でビビアンからの信頼も厚かった。 1975年6月26日夜11時頃、ビビアンによるソフィア殺害の現場に居合わせた。 ビビアンからの命令でアンドリューはビビアンを守るためにするべきことをしたらしい。(スコットの日記から) スコットとは親子関係に見えるほど仲が良い。1993年頃から酔っ払っていることが増え、その度にスコットが介抱、代役を努めた。 その際に、「ソフィア、すまない」ということを口にしており、スコットがソフィアについて知るきっかけとなった。また「マデリーン」の名前を口にしていたことから、マデリーン殺害の件も知っていたと思われる。 少なくとも1994年6月頃からソフィアの幻覚を見始める。「また見るようになった」の記述から以前も幻覚を見ていたと思われる。 その頃から精神不安定とアルコール依存症の診断を受けていた。 1995年6月7日、自宅で火事が起き死亡が確認された。 その晩はアンズコートヤード イン&スウィートで泥酔するほど飲んでおり、自宅の暖炉横にもウオッカの瓶が数本あったことから事件性は無いとされた。 しかし、検死により小さな刃物による肺損傷が確認。気胸が死因の可能性があるが、ひどい熱傷のため確定不可能。 マシューの音声記録によると、殺意は無かったものの殺害してしまった。 &attachref(アンドリュー.jpg,nolink,50%); **バーナード・ホプキンス [#p66972b3] **ドロシー・パターソン [#rd2e0a6d] **ワンダ・タイラー [#ncfb24bc] **デリック・タイラー [#s10e7167] **マデリーン・ロバーツ [#b8e9f091] **カルヴィン神父 [#x41bb042] **メアリー・マルティネス [#n791d474] **スティーブン・モス [#lec6d75f] ---- #pcomment(./コメント,20,reply)